千曲市議会 2022-03-09 03月09日-04号
袖山廣雄議員の代表質問への答弁でも、「市長のリーダーシップで日頃から心がけていることは、前例主義・権威主義の市政ではなく、スピード感を持ち、変化に対応することです」と答弁をさせていただきました。そのためには、議員がおっしゃるとおり、職員には、これまでの仕事や考え方に疑問を持ち、勇気を持って新たなことに果敢に挑戦する力が必要となります。
袖山廣雄議員の代表質問への答弁でも、「市長のリーダーシップで日頃から心がけていることは、前例主義・権威主義の市政ではなく、スピード感を持ち、変化に対応することです」と答弁をさせていただきました。そのためには、議員がおっしゃるとおり、職員には、これまでの仕事や考え方に疑問を持ち、勇気を持って新たなことに果敢に挑戦する力が必要となります。
このような取組を行うことで、多くの職員と連携することができ、前例主義、権威主義から脱却して、職員が持っている本来の能力を引き出せると考えております。 また、私が市長選から訴えてきた「人材の育成」の理念につきましては、「職員一人一人が前例踏襲ではなく、何事も果敢にチャレンジすること」であります。この理念により、全職員で総力を挙げ、市民のために創意工夫をしながら取り組んでいけると考えております。
と力強く訴えた小川市長が就任されて4か月、これまでの旧態依然とした前例主義、権威主義で既得権を守る市政ではなく、戦略的にスピード感を持って変化に対応できる新しい発想ができる市政に変わる、このことに市民は期待しています。 選挙戦で小川市長は小川修一通信に書かれたように、その公約は明快で分かりやすく、説得力のあるものでした。
そして、前例主義、権威主義、既得権を廃する市政とは何でしょうか。 次に、行政手腕が問われるという点であります。 人、モノ、金、情報の経営資源が今厳しい状況となっております。市民に詳しい説明が必要と考えます。特に、今後の財政推計を示し、事業の選別、優先順位を市民に理解していただくことが肝要であります。 内田副市長の再任が不同意・否決され、副市長不在となりますが、職員の総力を結集する必要があります。
前例主義・権威主義について。 市長は所信表明の中で、市政運営に当たり「発想の転換が必要です。これまでの旧態依然とした前例主義・権威主義で既得権を守る市政ではなく、戦略的に、スピード感を持って対応していく」と明言されました。 旧態依然の意味は、昔のままの状態で、少しの変化もないさま、古臭いしきたりや状況が続き、進歩や発展が全く見られないさまである。
小川市長は市政運営の基本に、旧態依然とした前例主義・権威主義で既得権を守る市政からの脱却をと、再三発言されています。旧態依然、昔からの状態がもとのままで変化や進歩がないこと。前例主義、過去に取っていた方法が機能しないにも関わらず、それを見直すことなく踏襲し続けてしまう不合理。権威主義、権威を盾に取って思考・行動したり、権威に対して盲目的に服従したりする態度。
小川市長は、これまでの旧態依然とした前例主義、権威主義で、既得権を守る市政ではなく、戦略的にスピード感を持って変化、対応できる市政、新しい発想ができる市政に変えるとの訴えが、多くの市民の共感を受け支持されました。市長は、今までの市政の何が問題だったのかと考えるのか、また、何をどのように変えるのか、その内容を市民に分かりやすい言葉で具体的に説明願います。 ○議長(和田英幸君) 答弁を求めます。
これまでの旧態依然とした前例主義・権威主義で既得権を守る市政ではなく、戦略的にスピード感を持って変化に対応できる市政、新しい発想ができる市政に変えなければ、明日の千曲市はありません。大胆かつ繊細に取り組みます。 そのためには、まず、市民目線に立って、市民の皆様がどう感じるか想像力を持ち、常に先を考える丁寧な行政運営を心がけます。
長男が相続するのが当たり前だった権威主義が、いつの間にか、欧米型の核家族へと移行しました。かつての大家族は4世代同居などもありました。この家族観が社会や組織に大きな影響を与えていたのですが、こちらも欧米型へと変わっていきました。親と同居しない世代が増え、結婚しない単身世帯者も増えています。人口減少という現象も、家族制度の崩壊と深い関係があると思います。
建物はまちと一体になることをモチーフとしていて、権威主義の気配の全くない明るく軽快でモダンなデザインとなっております。敷地は三方が道に囲まれ、どこからでも訪れられるようになっていて、正面とか裏側とかいった区別のない円形の建物となっています。 館内は展覧会ゾーンと交流ゾーンに分かれており、特に交流ゾーンはふだん美術館に縁のない人でも気楽に楽しめる内容になっています。
このようなときに景観という都市計画の本質的に権威主義的な、また父権主義、父の権力といいますか、父権主義的な行為を、国民的議論も十分に行うことなく、どさくさ紛れになぜ決めたのか。
しかし、現在、学校が抱える困難や学校を取り巻く社会状況にあって、時に管理型体制や権威主義的な態度が強く打ち出され、理が勝ち過ぎると映るような方向に学校が動いてしまうことがあることも事実です。
それで、名誉市民とか花いっぱい運動というのは、私はこれは虚礼とか、それから権威主義というのはなじまないんじゃないかと、あるいは似合わないというように思います。
各それぞれの首長は成果主義として見ており、権威主義とコスト主義を見事にクリアした実例でもありました。一方、上伊那のこの地域の民間温水プールを独自の企画、多彩な戦略でどこもいっぱいの盛況でありまして、熟年の多くの皆さんが水しぶきならぬ、お湯しぶきを上げている様は真剣そのものであります。
民主主義というのは一番大切だと思うわけでありますけれども、民主主義における小口方式といいますか、小口主義というものは一体どういうものかなと、とてもわかりやすく一つの言葉で言ったら、どういうふうになるだろうかと考えてみますと、それはいろいろな意見がありましたけれども、見せかけ民主主義とか、あるいは表民主主義、裏権威主義、あるいは裏権力主義、あるいはこんなのもありました。
そこに加えてこれは失礼な話かもしれませんが、権威主義的な発想が、隠したいとか恥をかきたくないというような心理背景は、人間としてどこかにあると思うが、やはりヒヤリハット報告は何件あっても包み隠さず、報告しやすい環境づくりが大変大事なことではないかなあと感じたところでございます。
権威主義、秘密主義、マンネリズムだそうです。そのようにならないように、思いを込めて質問をさせていただきましたが、この12年後の今、ほとんど結果は同じ状況ではないかと率直に思います。 例えば、今回市民会館改築につきまして、担当課は3回にわたって広報まつもとへは出していると言われました。
公共事業への依存度が高く、県が予算の配分権を握っており、さらには地域の実情の悪さや、権威主義の風土が県庁主導を加速させたのも全く否めない事実として報じつつ、県議会もオール与党のトロイカ体制に近く、オリンピック開催は県民の悲願とまで宣伝をされ、まさに県内全域がオリンピック戦時下に置かれ、新幹線や道路網は北信のみが整備され、この間、「知事をトップとする上意下達の体制」と報じました。
したがって、伝統的な学問は、権威主義をはらみやすかったと考えられます。 一方、伝統的な生活知はそれぞれの地域で民族的な知識として育てられ、とかく閉鎖された生活環境の中で当てはまる知識でした。また、自分の力で学ぶというよりも、共同体で伝承されるという非個人的なものでした。 さて、明治以降近代化は教育にも大きな変化をもたらしました。
私はここで改めて要望もし、お尋ねをしたいのは、住民と行政とのかかわりの中で許認可を持つ役所はとかく権威主義的にならず、行政は市民に対する最大のサービスであるという奉仕の心を持って職務を遂行してもらいたいということであります。各課にまたがる事業の整理と責任の明確化、更に過去にかさのぼって経緯を踏まえ、一つ一つが納得のできる住民サイドに立った行政が今こそ強く求められていると思います。